東京高等裁判所 平成元年(行ケ)145号 判決 1993年5月26日
東京都中央区銀座五丁目12番8号
原告
本州製紙株式会社
代表者代表取締役
米澤義信
訴訟代理人弁護士
尾﨑英男
東京都千代田区霞が関三丁目4番3号
被告
特許庁長官 麻生渡
指定代理人
板橋一隆
同
藤田泰
同
田中靖紘
同
涌井幸一
主文
特許庁が、昭和59年審判第11555号事件について、平成元年6月1日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた判決
1 原告
主文同旨
2 被告
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第2 当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和55年11月26日、名称を「感熱記録紙」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願をした(昭和55年特許願第165344号)が、昭和59年4月4日に拒絶査定を受けたので、同年6月21日、これに対する不服の審判を請求した。
特許庁は、これを同年審判第11555号事件として審理したうえ、平成元年6月1日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年同月28日、原告に送達された。
2 本願発明の要旨
別添審決書写し記載のとおりである。
3 審決の理由
審決は、別添審決書写し記載のとおり、本願発明の要旨に掲げられた4種の化合物の中から選ばれた1種をロイコ化合物(無色染料)とし、フェノール化合物を顕色剤として記録層中に含有させた感熱記録紙は本願出願前周知であり、この周知技術に特開昭53-48751号公報(審判事件甲第6号証・本訴甲第7号証。以下「引用例」という。)に記載されたところを併せることにより、本願発明は当業者が容易に発明できたものであって、特許法29条2項により特許を受けることができないと判断した。
第3 原告主張の審決取消事由の要点
審決の理由中、本願発明の要旨の認定、周知技術及び引用例の記載内容の認定は認める。しかし、審決は、本願発明の有する保存効果について、従来の感熱記録紙のそれに比して特別なものは認められないと誤って認定し(取消事由1)、また、本願発明の特徴が発色促進性、保存性、地肌の白さの三つの要素のいずれにおいても優れた性質を持つ点にこそあることを看過し(取消事由2)、さらに、引用例の記載内容の意味を誤解し(取消事由3)、その結果、本願発明は、当業者が容易に発明できたものであるとの誤った判断をしたものであるから、違法として取り消されなければならない。
1 取消事由1(保存効果についての認定の誤り)
本願発明によって初めて明らかにされた最も重要な点は、本願発明の要旨に掲げられている4種のロイコ化合物の各々とテルフェニルの組合せによる保存性改善効果であり、これによって、本願発明の感熱記録紙は従来例の感熱記録紙に比べて地肌の白さを維持しつつ保存性において優れたものとなっている。そして、このことは、本願明細書(昭和63年11月29日付け補正書による補正後のもの、以下同じ)で十分に説明されている。
以下、本願発明の要旨に掲げられている4種のロイコ化合物につき、実施例1に用いられている3-(N-シクロヘキシル-N-メチルアミノ)-6-メチル-7-アニリノフルオランをロイコ化合物A、実施例2に用いられている3-ジメチルアミノ-6-メチル-7(トリフロロメチルアニリノ)フルオランをロイコ化合物B、実施例3に用いられている3-ジエチルアミノ-7-クロロアニリノフルオランをロイコ化合物C、実施例4に用いられている3-ピペリジノ-6-メチル-7-アニリノフルオランをロイコ化合物Dと呼ぶ。
しかるに、審決は、本願発明におけるテルフェニルの保存効果は格別のものとは認め難いとし、種々理由を挙げている(別添審決書写し7頁11行~9頁18行)が誤りである。
(1) 審決は、比較例2の指紋処理部分の状態が「少し白く抜ける」であるから「少々白く抜ける」である実施例1に比べ保存効果に相違はない旨述べ(別添審決書写し7頁16行~8頁4行)、被告は、さらに、テルフェニルは、発色促進の効果は有するものの保存効果についてはむしろ低下させる方向に働く旨をも主張する。
しかし、比較例2はそもそも発色促進剤が全く包含されない例であり、本願発明における保存効果というのは、発色促進剤により一度十分に発色した部分が退色する程度の低いことであるから、比較例2をもって本願発明の保存効果を否定する根拠とすることはできない。
(2) 審決は、比較例3、4を実施例1と比べ、本願発明の各ロイコ化合物でない3-ピロリジノ-6-メチル-7-アニリノフルオラン(以下「ロイコ化合物G」という。)を用いた場合、テルフェニル(比較例3)と脂肪酸アミド類(比較例4)とで保存効果に差がなく、むしろ実施例1の方が比較例3、4より劣っていること、また、比較例3は、テルフェニルがロイコ化合物Gに対しても本願発明のロイコ化合物に対するのと同様の保存効果を示す旨の認定をしており(同8頁5~18行)、被告も同様の主張をする。
しかし、まず、比較例3、4は、本願明細書第1表に示されているように地肌濃度が本願発明に比べて濃いことを示す目的で掲げられているのであり、これをもって、本願発明の保存効果を否定する根拠とすることはできない。すなわち、比較例3、4で共通に使用されたロイコ化合物Gを用いた感熱記録紙は、元来、保存効果が優れるという利点を有する一方、地肌が黒灰色になる欠点を有していた(甲第2号証の1の3欄9~14行、30~32行)のに対し、ロイコ化合物A~Dを用いた従来の記録紙は、地肌が白い利点を有している一方、保存効果が劣る欠点を有していた(同欄23~29行、32~34行)のであり、本願発明は、ロイコ化合物A~Dを使用した地肌の白い感熱記録紙の上記欠点を除去するものであるから、比較例3、4の第2表における数値は、本願発明の保存効果、すなわち、本願発明の各ロイコ化合物を用いた地肌の白い感熱記録紙の発色部分の保存性を向上させる効果を何ら否定するものではない。
(3) 次にロイコ化合物B~Dを使用した実施例2~4については、テルフェニル以外の発色促進剤を使用した比較例はないが、これらの実施例の作用効果は、ロイコ化合物Aを使用した実施例1のそれとともに第2表の数値に示されているから、実施例1との関連でその程度がわかり、実施例1と同等であるとすることができる。
2 取消事由2(本願発明の特徴が発色促進性、保存性、地肌の白さの三つ効果を併せ持つ点にあることを看過した誤り)
審決は、発色促進性につき、審決認定の周知の感熱記録紙においてm-テルフェニルを含有させ発色促進の効果を得ることは、当業者にとって容易に考えられることであるといい(別添審決書写し5頁5~11行)、地肌の白さにつき、感熱記録紙の地肌濃度は、基本的にはロイコ化合物の種類、顕色剤の種類、その組合わせによって支配されるものであり、本願発明の各ロイコ化合物が顕色剤としてのフエノール化合物との組合せとともに感熱記録紙として本出願前周知である以上、当業者が知り又は知りうべかりしことにすぎず、格別の効果ということはできないと述べ(同5頁5~11行)、被告も同様の主張をする。
しかし、本願発明は、発色促進性、保存性、地肌の白さの3種の要素のいずれにおいても優れた感熱記録紙であることを特色とする発明であり、その発色促進性、地肌の白さは、個々的に見れば格別のものがないとしても、保存性の優秀さと併存することにより、全体としての格別な効果を構成している。審決は、作用効果の全体を考慮することなくその一部だけを取り出して見ることにより本願発明の作用効果につき誤った評価をした。
3 取消事由3(引用例の記載内容を誤解した誤り)
(1) 審決は、引用例に、ロイコ化合物として、本願の出願当初の明細書にロイコ化合物A~Dと等価値のロイコ化合物として記載されていた3、3-ビス(P-ジメチルアミノフェニル)-6-ジメチルアミノフタリド(以下「ロイコ化合物E」という。)が記載されていること、引用例は、このロイコ化合物Eにテルフェニルを組み合わせた感熱記録紙についての技術を発明内容とするものであることから、その作用効果において、この技術と本願発明との間に格別の相違があるはずはないと述べ(別添審決書写し9頁19行~10頁9行)、被告も、引用例に、ロイコ化合物として、2-アニリノ-3-メチル-6-(N-エチル-P-トルイジノ)フルオラン(以下「ロイコ化合物F」という。)も記載されていることを加えたうえで、同様の主張をする。
しかし、引用例には、多数の塩基性無色染料の一例としてロイコ化合物E、Fが開示され、また、これと別に多数の発色促進剤の一例としてテルフェニルが開示されてはいるものの、具体的に、ロイコ化合物E、Fとテルフェニルとの選択的組合せが開示されているわけではない。また、引用例に記載されているロイコ化合物E、Fとテルフェニルとの組合せが発色促進性と保存性が同時に達成されるという作用効果を有することは、引用例自体にはどこにも示唆されておらず、本願明細書に接して初めて知りうる情報である。
このように、引用例には、発色促進性、保存性、地肌の白さの3種の要素のいずれにおいても優れているという本願発明の作用効果を示唆するものは何もない。
(2) 被告は、引用例との関連で、本願発明は、選択発明としての要件を備えれば、初めて特許性が認められるところ、その要件に欠けると主張する。
しかし、まず、もし被告の主張するとおりであるならば、審決は、本願発明と引用例発明とは同一であると認定していたはずであるが、審決はそのようには認定していない。
次に、仮に選択発明の問題として検討するとしても、本願発明については、引用例発明との関係で選択発明が成立する。被告主張のとおり引用例に本願発明の各ロイコ化合物の上位概念としての塩基性無色染料とテルフェニルとの組合せが開示されているとしても、そこには、本願発明の各ロイコ化合物自体は開示されていないから、当然、本願発明の各ロイコ化合物とテルフェニルとの特定の組合せも開示されておらず、他方、本願発明が選択したこの特定の組合せにより発色促進性、保存性、地肌の白さの3特性の兼備という予期しない顕著な作用効果が得られることは、既に述べたとおりであり、選択発明としての要件に欠けるところはない。
第4 被告の反論の要点
審決の認定、判断は正当であり、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がない。
1 取消事由1について
本願発明におけるテルフェニルの保存効果は格別のものとは認め難いとした審決の認定に誤りはない。
(1) まず、ロイコ化合物Aに着目したうえ、一般に退色しやすいとされる指紋付着部分の退色の程度について見ると、ロイコ化合物Aとテルフェニルが用いられている実施例1では「少々白く抜ける」であるのに対し、ロイコ化合物Aと脂肪酸アミドが用いられている比較例1では「相当白く抜ける」であるから、これだけで見るかぎり、その間に保存効果上の差異を認めることができ、もしこの実験結果が正しいとすれば、それは、少なくともロイコ化合物Aに対しては、テルフェニルの方が脂肪酸アミドより保存効果が大きいことを示していることになる。しかし、上記事実に基づき、本願発明に特別の保存効果があると認定することはできない。
<1> ロイコ化合物Aについてテルフェニルも脂肪酸アミドも含有させない比較例2を見ると、指紋処理の処理部分の保存後の状態は「少し白く抜ける」、評価は「○」である。
上記実施例1及び比較例1にこの比較例2を併せて考えると、結局、これらにより、テルフェニルも脂肪酸アミドも、前者の方がその度合いが小さいとはいうものの、ともに保存効果を向上させるよりはむしろ低下させる方向に働く、ということが示されているということができる。すなわち、一方で、テルフェニルも脂肪酸アミドも含有させない場合は、発色促進の効果は得られないが、その代わり発色したものはほとんど退色せず、他方、テルフェニルを含有させると、発色促進の効果は得られるが、ある程度とはいえ退色することは避けられないのである。
いうまでもなく、感熱記録紙の使用形態、保存形態、必要な保存期間は多様であり、発色促進が必要なときも退色防止が必要なときもあるから、テルフェニルを含有させる方がよいか含有させない方がよいかは、一概にはいえない。したがって、このようなテルフェニルの効果を格別な効果とすることはできない。
<2> テルフェニルと脂肪酸アミドのそれぞれの保存効果を、ロイコ化合物Gを用いる点で共通であり、用いる発色促進剤がそれぞれテルフェニルと脂肪酸アミドである点で異なる比較例3と比較例4とで見ると、指紋処理部分の状態は、いずれも「ほとんど変化せず」であり、両者の間で保存効果に差異はない。
また、ロイコ化合物Aとテルフェニルを用いた実施例1における指紋処理の処理部分の状態が「少々白く抜ける」であることからすると、保存効果は、実施例1の方が比較例3、4より劣っていることがわかる。
さらに、ロイコ化合物Gとテルフェニルを用いた比較例3は、テルフェニルが、本願発明で規定する4種のロイコ化合物以外のロイコ化合物に対しても、上記4種のロイコ化合物に対してと同様に保存効果を奏することを示すものであり、これにより、これら4種のロイコ化合物であるからといって、テルフェニルとの関係で格別の効果を有するわけではないことが明らかにされている。
(2) また、ロイコ化合物B~Dについて見ると、これらを用いた実施例2~4に関しては、用いるロイコ化合物を共通にしつつ、テルフェニルに代えて脂肪酸アミドなどを含有させた、あるいは、これらの発色促進剤を一切含有しない比較例との対比がなされていないから、テルフェニル含有のものが、脂肪酸アミド類含有のもの、あるいは、これらの発色促進剤を一切含有しないものと比較して、保存効果上優れていると認めることはできない。
仮に、(1)に基づき、本願発明で規定する4種のロイコ化合物のうちロイコ化合物Aについては格別の保存効果を認めることができるとしても、ロイコ化合物B~Dについて上記効果を認めることができない以上、上記効果をもって本願発明の効果とすることはできない。
(3) (1)及び(2)においては、本願発明の保存効果につき、指紋付着部分の退色の程度に着目して見てきたが、そこで述べられたことが指紋を付着させない部分についてもほぼ同様に当てはまることは、第2表の指紋未処理の欄を見れば明らかである。
(4) 以上のとおりであるから、本願発明におけるテルフェニルの保存効果は格別のものとは認め難い、とした審決の認定に誤りはない。
2 取消事由2について
審決は、本願発明の作用効果である、発色促進性、保存効果、地肌の白さの3要素を総合的に勘案し、本願発明の作用効果を評価している。審決は上記各要素それぞれについての評価をも行っているが、これは、いうまでもなく、上記総合的評価の一環として行ったものである。その結果、審決は、本願発明は、上記3要素のいずれについても、また、それらを併せた全体としても、当業者にとって予測できないような格別な効果を示さないと判断したのである。したがって、審決が、本願発明の作用効果を全体として評価せず、三特性の兼備という本願発明の特色を看過したとする原告の主張は、成り立たない。
3 取消事由3について
(1) 引用例には、以下に述べるとおり、本願発明の構成及びその作用効果を示唆するものがある。
まず、引用例には、広く塩基性無色染料(ロイコ化合物)を発色剤とし、フェノール化合物を顕色剤として含む記録層中にテルフェニルを含有させた感熱記録紙が記載されており、そのロイコ化合物の具体的な例としてロイコ化合物E、Fが挙げられている。
この引用例発明と本願発明とを比較すると、本願発明の規定するロイコ化合物A~Dは引用例発明における塩基性無色染料に概念上包含され、かつ、ロイコ化合物A~Dは、審決認定の周知の感熱記録紙にも見られるように、感熱記録紙用の塩基性無色染料として普通に用いられるものであり、さらに、本願発明と引用例発明とは、フェノール化合物とテルフェニルを含有する点でも共通しているから、引用例発明のロイコ化合物をロイコ化合物A~Dにした場合だけに格別の作用効果が認められるのでないかぎり、本願発明と引用例発明との間に効果上優劣はないことになり、本願発明は、引用例発明と同一であるか、もしくは、引用例発明に基づいて容易に推考できたものといわざるをえないことになる。
ところが、ロイコ化合物E、Fは、本願の出願当初の明細書において本願発明の規定するロイコ化合物の範囲に包含されるものとして特許請求の範囲に記載されていたものであり、ロイコ化合物A~Dと類似親近性のあるものとされ、作用効果においても、これらと同等視されていたのであるから、原告の立場からしても、ロイコ化合物E、Fは、保存効果を含む全体としての作用効果において、ロイコ化合物A~Dと同等のはずである。したがって、本願発明は、引用例発明と同一であるか、もしくは、引用例発明に基づいて容易に推考できたものといわざるをえない。
このように、本願発明で規定するロイコ化合物A~Dとテルフェニルとの組合せによるのと同等の作用効果は、引用例発明において既に得られていたものであり、本願発明の発明者が、ロイコ化合物A~Dとテルフェニルとの組合せによる作用効果を確認したとしても、それは、既に得られていた効果を単に確認したにすぎず、これをもって新規な作用効果とすることはできない。
(2) (1)で述べたことを別の観点から見れば、本願発明は、引用例発明との対応においては、それに対して選択発明として成り立つことによって初めて、特許性のある発明になりうるものであるのに、選択発明としての要件が欠けているため特許性を持ちえないということである。
第5 証拠
本件記録中の書証目録を引用する。書証の成立は、いずれも当事者間に争いがない。甲第2号証の2~5については、原本の存在についても争いがない。検甲第1号証については、それが訴外画像電子学会作成の「ファクシミリテストチャートNo1」であることにつき争いがない。
第6 当裁判所の判断
1 取消事由1、2について
(1) 甲第2号証の1・2、検甲第1号証、甲第9号証によれば、使用した発色促進剤がテルフェニルであるかステアリン酸アミドであるかだけの点で異なり、ロイコ化合物Aを使用する点も含め他の条件をすべて同じとする実施例1と比較例1とを比較した場合につき、以下のとおり認めることができる。
第2表によりまず指紋未処理の方法について見ると、発色部濃度は、時間の経過により、実施例1においては、0.95から0.92に変化しているのに対し、比較例1においては、0.82から0.60に変化している。ここで濃度を表すものとして用いられている数値は、光学濃度といわれるもので(甲第8号証)、人の目に感じる濃度と比例するように数値化されている。すなわち、0.9は、人の目に0.6より1.5倍濃いと感じられる。また、画像電子学会の作成したファクシミリテストチャート(検甲第1号証)にある濃度を段階的に変化させたテストサンプルの濃度を測定した結果と対比すれば、比較例1の保存後の濃度0.6はかなり退色した濃度であることがわかる。
両者における上記変化の程度を比較すれば、実施例1は、比較例1に比べ、発色部濃度の経時変化、すなわち退色の程度が非常に少ないことが明らかである。
次に、同じく第2表により指紋処理を行う方法について見ると、処理部分の状態が、実施例1では「少々白く抜ける」であるのに対し、比較例1では「相当白く抜ける」である。
上記認定の事実によれば、テルフェニルを使用した本願発明の方がステアリン酸アミドを使用したものより格段に優れた保存効果を有することが認められる。
(2) 比較例2を根拠とする審決の認定(別添審決書写し7頁11行~8頁4行)及び被告の主張につき、比較例2がテルフェニルにせよ脂肪酸アミドにせよ発色促進剤を全く含有させない場合のものであることは被告の自認するところであって、現に、本願明細書(甲第2号証の1・2)の第2表の示すとおり、比較例2の保存前の濃度は0.54であり、実施例1の0.95に比して著しく低いと認められる。本願発明が解決を目指す技術課題の一つである保存効果の向上とは、十分に発色させたうえでそれをいかに維持していくかの問題であることは本願明細書の記載から明らかであるから、発色促進剤を用いず、現に発色状態のよくない比較例2の保存効果をもって、本願発明の保存効果を否定する根拠とすることはできない。
この点につき、被告は、感熱記録紙の使用形態、保存形態、必要な保存期間は多様であり、発色促進が必要なときも、退色防止が必要なときもあるから、テルフェニルを含有させる方がよいか含有させない方がよいかは一概にはいえないと主張するが、採用できない。被告主張のとおり発色促進が必要なときもあるからこそ、発色を促進しつつ保存効果をいかに向上させるかが技術課題となりうるのであり、発色が促進されれば保存効果を考えなくてよいという場合ばかりではないことは、論ずるまでもないからである。
(3) 審決は、比較例3、4と実施例1を対比し実施例1の保存効果を否定する(別添審決書写し8頁4行~9頁1行)。
しかし、本願明細書(甲第2号証の1・2)の第1表によれば、比較例3、4の地肌濃度は、それぞれ、0.15及び0.17であって、実施例1の0.07に比べて大きく劣っていることが明らかである。すなわち、比較例3、4の保存効果は地肌の白さを求めない場合の保存効果であるのに対し、本願発明は、地肌の白さを維持しつつ保存効果を上げることを目的とするものであるから、地肌の白さの点で本願発明の目的を達成できないことが明白な比較例3、4における保存効果との比較により、本願発明の保存効果を否定することは許されない。したがってまた、テルフェニルが比較例3のロイコ化合物Gに対しても本願発明の各ロイコ化合物に対するのと同様の保存効果を示すということはできず、同様の保存効果を示すことを前提とする審決の認定は根拠がない。
(4) 審決は、ロイコ化合物Aを用いる実施例1につき保存効果を格別のものでないと判断したことを前提として、ロイコ化合物B~Dを用いる実施例2~4については、用いるロイコ化合物を共通にしつつ、テルフェニルを不含とし、あるいはテルフェニルに代えて脂肪酸アミドなどとした場合との対比がされていないことを理由に、発色促進効果、保存効果上優れたものがあるとの点を否定している(別添審決書写し9頁2~9行)。
しかし、審決の前提とした前示判断が首肯できないことは上記のとおりであり、また、実施例1~4の作用効果を第1・2表で見ると、いずれも同じような結果となっており、このことからすると、ロイコ化合物B~Dをそれぞれ用いる実施例2~4は、いずれもロイコ化合物Aを用いる実施例1とほぼ同じ作用効果を奏することが一応認められるから、審決指摘の対比がされていないことは、実施例2~4の作用効果が優れたものでないとする根拠とはなしえないといわなければならない。
(5) 以上の説示に照らせば、審決は、本願発明の作用効果、特に保存効果についての検討において、発色促進性、保存効果、地肌の白さの兼備を目的とする本願発明の特徴に即した論拠を示しているということはできず、したがって、これを前提とした本願発明の作用効果が全体としても格別なものがないとする審決の判断も直ちには肯認することができない。
2 取消事由3たついて
引用例に、塩基性無色染料の一例としてロイコ化合物E、Fが、発色促進剤の一例としてテルフェニルが、それぞれ開示されていること、ロイコ化合物E、Fは、本願の出願当初、その時点での本願発明のロイコ化合物の範囲に包含され、ロイコ化合物A~Dと類似親近性のあるものとされ、作用効果においても、これらと同等視されていたことは、いずれも当事者間に争いがない。
しかしながら、甲第7号証によれば、引用例には、ロイコ化合物E、Fとテルフェニルとの具体的な組合せについての開示はなく、ましてやその組合せによってもたらされる具体的な効果についての開示はされておらず、特に保存性に関する記載は全くなく、これを示唆する記載もないことが認められる。
このように、引用例には、ロイコ化合物E、Fとテルフェニルとを組み合わせた場合に生ずる本願発明と同等の保存効果が開示されておらず、これを示唆する記載もない以上、引用例の記載事項と審決認定の周知技術に基づき、本願発明のロイコ化合物A~Dとテルフェニルの組合せによる作用効果を当業者が知り又は知ることができた、ということはできない。
審決のこの点についての判断は誤りといわなければならない。
3 以上のとおりであり、審決の前示判断の誤りがその結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、審訣は、違法として取消しを免れない。
よって、原告の本訴請求は理由があるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 山下和明 裁判官 三代川俊一郎)
昭和59年審判第11555号
審決
東京都中央区銀座5丁目12番8号
請求人 本州製紙株式会社
昭和55年特許願第165344号「感熱記録紙」拒絶査定に対する審判事件(昭和63年2月19日出願公告、特公昭63-7958)について、次のとおり審決する。
結論
本件審判の請求は、成り立たない。
理由
本願は、昭和55年11月26日にされた特許出願であつて、発明の要旨は、出願公告前の同59年7月20日付け及び同62年9月24日付け両手続補正書並びに出願公告後の同63年11月29日付け手続補正書により補正された明細書によれば、その特許請求の範囲に記載された次のとおりのものと認められる。
「3-(N-シクロヘキシル-N-メチルアミノ)-6-メチル-7-アニリノフルオラン、3-ジエチルアミノ-7-クロロアニリノフルオラン、3-ピペリジノ-6-メチル-7-アニリノフルオラン、3-ジメチルアミノ-6-メチル-7(トリフロロメチルアニリノ)フルオランの中から選ばれた1種以上の物質と前記物質と反応して顕色するフエノール化合物とを主成分とする感熱記録紙の記録層中に保存性の改善も兼ねた発色促進剤としてテルフエニルを含有させたことを特微とする感熱記録紙。」
これに対して、3-(N-シクロヘキシル-N-メチルアミノ)-6-メチル-7-アニリノフルオラン、3-ジエチルアミノ-7-クロロアニリノフルオラン、3-ピペリジノ-6-メチル-7-アニリノフルオラン及び3-ジメチルアミノ-6-メチル-7(トリフロロメチルアニリノ)フルオランという4種の化合物の中から選ばれた1種をロイコ化合物(無色染料)とし、フエノール化合物を顕色剤として記録層中に含有させた感熱記録紙が、特許異議申立人杉山登英の提出した甲第1号証(特公昭51-23204号公報)、甲第2号証(特開昭55-265号公報)、甲第4号証(特公昭52-10871号公報)、甲第5号証(特開昭51-44008号公報)に記載されていて、本出願前周知であることは、請求人において自認するところである(特許異議答弁書第3頁、第4頁)。
したがつて、本願発明が容易に発明をすることができたかどうかにつき問題となる点は、上記感熱記録紙の記録層中にテルフエニルを含有させることが容易であるかどうか、また、そのことが顕著な作用効果をともなうものであるかどうかに帰する。
そこで、特許異議申立人が提出した甲第6号証(特開昭53-48751号公報)をみるに、そこには、広く塩基性無色染料(ロイコ化合物)を発色剤とし、フエノール化合物を顕色剤として含む感熱記録紙記録層中に融点60ないし200℃の熱可融性物質を含有させることによつて、迅速な熱応答性と改善された低温感度をもつ感熱記録紙を得ることが記載され、その熱可融性物質の一つとして1.3-ターフエニルがステアリン酸アミド、パルミチン酸アミドなどの脂肪酸アミドと並んで挙げられている。この甲第6号証に記載された塩基性無色染料のなかには甲第1、第2、第4、第5号証に記載されている4種のロイコ化合物すなわち本願発明で規定するロイコ化合物は例示されていないが、甲第6号証に記載された塩基性無色染料と、甲第1、第2、第4、第5号評に記載された、すなわち本願発明で規定する4種のロイコ化合物はいずれも感熱記録紙に用いられる染料成分として類似親近性のあるものであること、1.3-ターフエニルとは1.3-テルフエニルすなわちm-テルフエニルのことであること、迅速な熱応答性と改善された低温感度とは発色促進効果を意味するものと解されること、以上を併せ考えると、甲第1、第2、第4、第5号証に記載された感熱記録紙において、その記録層中に甲第6号証の感熱記録紙で用いられているm-テルフエニルを含有させること、そして、そのことにより発色促進の効果を得ることは、当業者にとつて容易に考えられることというべきである。なお、m-テルフニニルは、本願明細書発明の詳細な説明においてテルフエニルの3種の異性体のなかで推賞されているものであり(公告公報第5欄、その実施例も一つを除いてm-テルフエニルを用いている。)、それを記録層中に含有させるという点においても、本願発明の感熱記録紙と甲第6号証のそれとの間で具体的にみて相違かない。
もつとも、請求人は、明細書記載の試験結果に基づき、テルフエニルは脂肪酸アミドなどよりも優れた発色促進の効果と高温多湿下での保存効果を奏するものであり、しかも、本願発明で規定する特定の4種のロイコ染料との関連でとくにその作用効果が顕著である旨、主張する。
まず、明細書発明の詳細な説明第1表に示された発色促進効果について検討する。
本願発明で規定するロイコ化合物の1種である3-(N-シクロヘキシル-N-メチルアミノ)-6-メチル-7-アニリノフルオランを用いる場合につき、m-テルフエニルを含有させるとき(実施例1)と脂肪酸アミド類を含有させるとき(比較例1)とでは、印加電圧12.5Vの記録濃度が前者では0.95、後者では0.82であり、その間に差異があつても、それはさほど大きくないことを考えると、これをもつて顕著な差異があるとは断定し難い。また、ロイコ化合物として本願発明で規定するロイコ化合物の範囲外にある3-ピロリジノ-6-メチル-7-アニリノフルオランを用いる場合についても、m-テルフエニルを含有させるとき(比較例3)と脂肪酸アミド類を含有させるとき(比較例3)と脂肪酸アミド類を含有させるとき(比較例4)を比較しても、その12.5Vの記録濃度は0.97と0.90であつて、その濃度差として前記実施例1と比較例1との間のそれと同程度のものが得られており、本願発明で規定するロイコ化合物であるからといつて、テルフエニルとの関連で格別の発色促進の効果が得られているとはいえない。
つぎに、発明の詳細な説明第2表に示された保存効果について検討する。
実施例1と比較例1を比較すると、一般に退色しやすいとされている指紋付着部分について、なるほど前者の評価は「少々白く抜ける」であるのに対し、後者では「相当白く抜ける」であり、その間に保存効果の向上がみられる。しかし、本願発明で規定するロイコ化合物の1種である3-(N-シクロヘキシル-N-メチルアミノ)-6-メチル-7-アニリノフルオランを用いる場合につき、m-テルフエニルを含有させるとき(実施例1)とm-テルフエニルを含有させないとき(比較例2)とは、「少々白く抜ける」、「少し白く抜ける」であつて、その保存効果に相違はなく、保存効果上テルフエニルを用いたことによる差異はみられない。比較例3と比較例4とは、いずれも「ほとんど変化せず」であつて、その間に保存効果上の差異はなく、脂肪酸アミド類によつても、m-テルフエニルによるのと同程度の保存効果が得られており、他方その保存効果が本願発明の範囲に属する実施例1では「少々白く抜ける」であることを考えると、むしろ実施例1の方が比較例3、比較例4よりも劣つている。この比較例3はまた、本願発明で規定するロイコ化合物の範囲外にあるロイコ化合物に対しても、その範囲内のロイコ化合物に対してと同様にm-テルフエニルが保存効果を奏することを示すものであり、本願発明で規定するロイコ化合物であるからといつて、m-テルフエニルとの関連で格別の保存効果が得られているというわけのものでないことを意味している。以上の保存効果の傾向は、第2表に示された指紋未処理部分についてもほぼ同様といつて差し支えがない。
実施例2、3、4については、そのロイコ化合物を共通にしつつ、テルフエニルを不含とし、あるいはテルフエニルに代えて脂肪酸アミドなどを用いる比較例との対比がなされていないので、その場合、テルフエニル含有のものがテルフエニル不含のもの、あるいは脂肪酸アミド類含有のものと比較して、発色促進効果、保存効果上優れたものがあるとの結論は得られない。
以上を総合して考えると、第1表及び第2表によつては、テルフエニルの有する発色促準効果及び保存効果のそれぞれが、またそれを併せた全体としての作用効果が脂肪酸アミドなどのそれに比して格別のものとは認め難いし、また、テルフエニルが本願発明で規定する4種の特定のロイコ化合物との関連で等しく、かつ、他のロイコ化合物に対して示さない顕著な作用効果を奏するものであるということも困難である。
さらにいえば、甲第6号証には、ロイコ化合物として、3、3-ビス(p-ジメチルアミノフエニル)-6-ジメチルアミノフタリドが挙げられており(第2頁左上欄)、当然のこと左がら甲第6号証はこのロイコ化合物にテルフエニルを組み合せた感熱記録紙についての技術を発明内容とするものであるところ、この技術は本願の出願当時の明細書にし記載され、それ以外の発明と等価値のものとされていたことを考えると、その作用効果においてこの技術と本願発明との間に格別の相違のあるはずがないことが明らかである。
なおまた、請求人は、本願発明で規定する4種のロイコ化合物は地肌が白いとの効果を有するというが、感熱記録紙の地肌濃度は、基本的にはロイコ化合物の種類、そして顕色剤の種類、その組み合せによつて支配されるものであり、前述したとおり本願発明で規定するロイコ化合物が顕色剤としてのフエノール化合物の組み合せとともに感熱記録紙として本出願前周知である以上、当業者が知りまたは知りうべかりしことにすぎず、格別の効果ということはできない。その他、本願発明に優れた作用効果があると認めるに足りる資料はない。
そうすると、本願発明は、甲第1、第2、第4、第5号証に第6号証を併せることにより当業者が容易に発明をすることができたものであり、特許法第29条第2項の規定に該当して特許を受けることができない。
よつて、結論のとおり審決する。
平成1年6月1日
審判長 特許庁審判官 (略)
特許庁審判官 (略)
特許庁審判官 (略)